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2018.02.22

【昭和回顧録】番長の復活を心から願います

「春節」

毎年、この時期になると、中国や台湾からたくさんの観光客が来日します。

ひょっとしたら、オリンピックで賑わう平昌よりも来日客が多いんじゃないかと思えるくらい街には中国語が溢れています。

そうなると、これも毎年のことではあるのですが、ニュースなどでは、外国人の「マナーの悪さ」が取り上げられます。

お国が違えば、習慣も文化も違うわけなので、徐々に覚えていってもらうしかないのですが、最近は日本人でも外国人に負けず劣らずマナーのなっちょらん輩が増えています。

日本の習慣やルールを知っているだけに、よりタチが悪いと言わざるを得ません。

ところで、私の棲んでいるあばら家の前に小さな公園があります。

あまりに小さいがために、名前もありません。

猫の額ほどの大きさなので、子供が遊ぶわけでもなく、年寄りが散歩することもありません。

そもそもベンチがないため、文学少女が本を読んだり、恋人たちが共に将来を語らう姿を見ることも皆無です。

じゃあ、どんな人種がその公園を使うのかというと、昼は喫煙者、夜はアベックです。

公園はちょうど、表通りからは見えないようになっていることもあり、昼間は近所の会社の喫煙者がやってきて、一服しては帰っていきます。

それが夜になると、一転し、どこからともなくアベックが集まってきます。

街灯もないので、ナニをしているかはよくわかりませんが、ハアハアいう声とグチュグチュという音だけが聞こえます。

そういう場所なので、昼も夜も猫の子一匹寄り付きません。

そんな公園で、先日ちょっとした事件がありました。

平日の昼のことです。

私が公園の前を通った時、どう背伸びして見ても、まだチンコの毛も生えそろっていなさそうな中学生らしき3人組が、マヌケそうな顔をしながら飄々とタバコを吸っていたのです。

だから、こう言ってやったんです。

「こんなところでタバコなんか吸って、君ら学校はどうした」

少年たちは、突然現れた禿げ散らかったオッサンの登場にド肝を抜かれたようでした。

懸命にタバコを消して何事もなかったように取り繕おうとしています。

銘柄は何だ。キャビン? その年齢でこんなもん吸ってたらチンコは大きくならないし、女の子はキスもさせてくれないぞ

どうやら私がヤクザでもなければ学校の先生でもないことがわかったようで、少年たちの顔には、やや安堵の色が浮かび始めました。

「ごめんなさい」

一人の少年が私に素直に謝ります。どうやら根は良い子のようです。

そこで私は彼らに軽く説教をたれることにしました。

「ところで、こんなところで堂々とタバコなんて吸って、君らの学校の番長は何も言わんのかね」

一人の少年が恐る恐る挙手をします。

「はい、君。何だね?」

「あの…、番長って何ですか?」

「何だ君らの学校には番長いないのか。だからこんなところで、野良犬みたいにタバコを吸っていたんだな。ちょっと待ちなさい」

こう言って私は、スマホで番長を検索して見せてやりました。

ところがウィキペディアを見せてやっても、少年たちはイマイチ、ピンときていません。

そこで今度は「番長 画像」で検索してみました。

すると、珍妙な前時代的な番長の画像がわさわさ出てきます

「あの、おじさん、これって…」

少年たちの顔にはタバコが見つかった時以上に不安の色が滲んでいます。

「ま、待ちなさい。今わかりやすいの見せてやっから!」

こうなったら、「番長 写真」で検索です。実際に生の番長の写真を見たら、少年たちにも合点が行くでしょう。

「番長 写真」

するとどうでしょう。「ハマの番長」三浦大輔の写真がわさわさ出てくるではありませんか。

「あうっ、あうっ、ひーーーーーッ」

窮地に追い詰められた私。

「お、おじさん、大丈夫ですか?」

少年たちは、明らかに狼狽しています。

おそらくその狼狽は、ひょっとしたら自分たちが気のふれたオッサンに捕まったのではないかという恐怖から来るものでした。

「違うっ! 違うんだ。オヂサンは変質者ぢゃないからっ!」

私の口から「変質者」という言葉を聞いた瞬間、少年たちは逃げ出しました。

おそらく、二度とその公園で会うことはないでしょう。

それにしても、もう日本では番長は絶滅してしまったのでしょうか。

番長がいないということは、「総番」も「裏番」も「影番」もいないということになります。

これは由々しき事態です。

なぜなら、どんな問題があっても番長がいれば大丈夫だからです。

逆に言えば、番長がいないと解決しない問題も多々あります。

喧嘩やいじめ、非行や貧乏など、親や先生の目の届かないところで、影になり、ひなたになり体を張って学友を守る。一昔前はそんな番長が必ず学校に一人はいたものです。

学校に限ったことではありません。社会に出ても「番長」がいるかいないかで、だいぶ状況が違います。

芸能界だって、番長さえいれば、か弱いベッキーが泣きながらテレビの前で謝ることもなかったのです。

なぜなら、そんな時、芸能番長がテレビの前で説明すれば、メディアは黙るしかないからです。

職制にはない番長という存在。世知辛く、マナーが崩壊し始めた今のニッポンだからこそ、なおさら必要に感じる今日この頃です。

文責:編集長原田

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