【ブーム再来!】懐かしくも妖しい日本伝統の裸文化
今や家庭に浴室があるのは当たり前。中にはジェットバスやミストシャワーなど快適な機能がついたオシャレなバスルームを備えている家さえある。
その昔、現在のシニア世代が若かった昭和30~40年代、地方から上京してきたばかりの学生は「風呂なし4畳半」、ついでに「彼女なし」が当たり前だった。だからこそ、いつか彼女を作って、二人で横丁の風呂屋に行き、一緒に出ようっていったのにいつも私が待たされる「神田川」の世界に憧れたのだ。
当時は一般家庭にも風呂のない家が多く、誰もが町の銭湯に通っていた。だから銭湯はいつ行っても混んでいて、われらがヒーロー長嶋茂雄に夢中になっていた野球少年たちは、履物を入れる下駄箱の3番がつねに誰かに占領されていたことを悔しがったものだ。
さらに、こんな話もある。
連続ラジオドラマ「君の名は」(蛇足ながら新海誠監督の大ヒットアニメとはもちろん無関係だ)が大人気を博し、番組が放送された毎週木曜日の夜8時半から9時までは女湯がガラガラになったという。
ところが、これは事実ではなく、番組を制作した松竹の宣伝部が番組をヒットさせるために仕掛けた全くの作り話だったというのが真相らしい。その時間帯でも女湯はいつもどおり混んでいたようだ。
その話がホントでもウソでも、この際どうでもいいが、要は庶民の生活にそれだけ銭湯が深く関わっていたということ、それがいいたかったのである。
時代が進み、今、銭湯は日陰の存在へと追いやられてしまっている。
東京都内を例に挙げると、ピークの昭和43年には2687軒もあった銭湯が平成27年には約4分の1の628軒にまで落ち込んでいることを見ても、それがよく分かる。
内風呂の普及もさることながら、銭湯自体の後継者不足が減少に拍車をかけているのが実情なのだ。
しかし、その一方で平成26年の人口10万人当たりの銭湯数を見ると、東京都は4.66軒で全国第9位と上位にランクインしている。都内には1人暮らしの人が多いこともあり、庶民にとってまだまだ銭湯はなくてはならない存在であることも事実のようだ(ちなみに全国第1位は青森県の8.40軒。最下位の47位は沖縄県の0.14軒)。
もちろん世の中には銭湯をこよなく愛している人も少なくない。手足を思う存分伸ばして湯に浸かる解放感は自宅の風呂では味わえないからだ。
銭湯めぐりなどを中心に活動している銭湯愛好家の団体「東京入浴会」のモットーは「外食があるなら外浴があってもいい」、「遠くの温泉より近くの銭湯」、「湯気の向うはノスタルジー」。
どれも思わず納得してしまうものばかりではないか。そういえば最近、行っていないなという人は今夜にでも久しぶりに銭湯を堪能してみては?
銭湯についてはまだまだたくさんの話がある。随時紹介していこう。
取材/快活60還暦特派員・清水一利