佐々木正洋のいまさら聞けない一般常識 ベテランアナがやさしく解説

2019.12.30

第78回「京都とホイアン」

どちらも古都で、世界遺産ですよね。当然ですがどちらにも風情があって情緒があるはずです!?

京都はちょっと置いておいて、ここでホイアンの歴史に触れておきましょう。名前も日本的に感じるならばのほほんとしていて、なんとものどかで甘い感じです。けっこう歴史のある港町です。貿易、特に海上交易を中心とした国際貿易都市で商業活動で栄えた街。

このベトナム中部以南にはチャンバ王国というのがあったんですが、その大きな港町が、ここホイアンだったんです。チャンバ王国(192~1832)は1600年以上も続いた王朝です。近くにミーソン遺跡なる世界遺産もあるベトナム中部の市街地の一画がこの街で、夜になると幻想的な景色を醸し出すんですね、トゥボン川の両脇にズラッと並んだ旧市街の古民家、屋根に草が生えていたり、苔むしていたりといった家が軒を連ね、ここでアオサイを着てインスタ映えするとばかり写真におさまる日本女性もかなりいるそうです。

日本とは1601年に徳川家康に書簡を送り1000人ほどの日本人街が出来たほどのつながりがあったんですね。その後ホイアンは船の大型化により寄港地としては不適格となり貿易港はダナンに移ってしまいます。時代の波に乗れず開発からも取り残され、皮肉にもそういう歴史のおかげで、辛うじてベトナム戦争の戦火は免れることになるんですね。だからこそ古民家がそのまま残されたんです。

僕自身15年くらい前なのかな、ホイアンの街中にある古民家の宿にあえて泊まってみましたが、昭和初期か大正時代の雰囲気ってこんな感じだったのかなあ、と彷彿させるものがありました。いわゆるモダンな西洋文化の匂いがしましたね。一時期は国際貿易都市として栄えたところですからね。しかもベトナムはフランス統治下だったこともありますしね。今だったら写真撮りまくりだったでしょうね。インスタ映えなんてものじゃなかったですねぇ。

そうでした、置かれたウリを半分に割ったような真っ白なバスタブの栓からお湯が床に漏れていたのを思い出しました。

話を戻しましょう。復興をはかるベトナム政府によってそんなホイアンは1980年代から1990年代にかけて文化財として保護されるようになり、再びホイアンの街並みが脚光を浴びるようになったんですね。さらには日本の木造建築の技術が求められ日本文化庁、大学、JICAなどの協力によって街の保存プロジェクトが組まれ、日本のサポートもあって地元の人の努力が実を結び、遂に1999年世界遺産となるんです。

ただここで未だによく分からないのが、街を妖しく彩る提灯の数々なんですね。なぜこの街にこれほどの提灯が流行ったのか、飾られたのかはっきりした理由が解明されていないようです。僕が入ったいまから14,5年前はまだ提灯がいたるところにと言っても、限られた店先に、特徴的に独特な灯りを放っていましたが、今回、ダナンのドンア大学講演(このコラムで書きましたが)のついでに足を延ばして行った時には驚くばかりでした。

何に、そんなに驚いたかと言うと、提灯の数、人の数に驚きました。提灯が特徴的な街だということは、昔から有名でしたが、あれほどの数は見られませんでした。ロマンチックの押し売りのように提灯だらけでした。僕の知るホイアンは、街を二分するように流れる細い川、トゥボン川の水面に映る提灯の灯りがいかにも幻想的で、切ない感じすらあったんですが、2019年12月に行ったホイアンは別にフェスティバルでもないのに人で溢れ、提灯で溢れ、橋の上では押すな押すなの大盛況といった感じでした。

で、ここで京都を思い出してしまったんですね。11月に銘酒黄桜の長男さん(いずれ黄桜四代目)の披露宴の司会を頼まれて京都フォーシーズンズホテルまで行ったんですが、その前日、せっかく京都まで来たんだからと、有名な東福寺の紅葉が今見頃だと聞いて出かけていったんです。確かに見事な紅葉が魅せる鮮やかな紅葉は圧巻でしたが、それを観るのに一番の場所、通天橋を渡りながら観るんですが、まったくホイアンと同じでした。まるでパンダがやってきた上野動物園の観覧のようで、思わず「はい、立ち止まらずに一歩、一歩前に進みましょう」といった様子でした。あまりに観光客が増えすぎているので“京都観光税”なるものを考案したらどうかという意見が出ていますが、主客転倒と言われようが、施行した方が良いのではとつい思ってしまいました。風情も何もあったものではないんですね。散りゆく紅葉にものの哀れなど感じている暇がないですよね。足を踏まれて痛みを感じないように防御するのに精いっぱいでした。哀れなのは世界的観光都市、京都ですね。

ホイアンも同じことが言えました。昔、ホイアンを訪れた時に川面に映し出された彩られた提灯に感じた“切なさ”なんてどこへやら。人の波に押し流されるように前に進むだけ、というなんとも情けない、こちらも感じたのは現実の“哀れ”でした。なんか情けない、ですね。詳しくは調べていませんが、日本だけでなく、ひょっとしたら今、世界中で観光客が溢れているのかもしれません。ということはまさか、一部のカネ余り現象、貧富の差現象なのではないでしょうね。それに交通の便の良さも手伝っているかもしれません。92歳の母は今でも父が定年を迎えて思い切って行ったヨーロッパ旅行を懐かしんでいますが、そこにはこれほど観光客でごった返す旅行の話は一切出てきません。「きれいだったねぇ、良かったねぇ」と呟く母の言葉には、まさに亡き父と二人で行った旅情が感じられるんですけどねぇ。

    佐々木 正洋
    佐々木 正洋
    1977年アナウンサーとしてテレビ朝日入社。16年間担当「夕刊キャッチアップ」の最高視聴率16%は今だ破られず。また、2002年出版の「ちょっとしたコツで誰でも『上手な話し方』が身につく」は、当時現役局アナとして近年初1万部を突破。猪木の闘魂ビンタの元祖。2012年独立。テレビ、ラジオで活躍の他、各種イベントの司会や講演を行い、「雑誌ネット」で記事批評を載せ、駒沢女子大学で講師を務める。インターネット、新聞などで世相を斬る、コラムニストでもある。北九州市観光大使