佐々木正洋のいまさら聞けない一般常識 ベテランアナがやさしく解説

2019.10.14

第67回「翼さんが飛んでっちゃっいました」

少し親しくなるとみんな、「翼さん」と呼んでいましたが79歳になってらっしゃったんですね。

昔からおべんちゃらでなく「若いですねぇ」と言いたくなる風貌でした。

先日お亡くなりになられた芸能リポーター福岡翼さんのことです。

翼さんは、ワイドショーを中心に活躍していらっしゃいましたから、殿方よりはご婦人方の方がよく覚えているでしょう。

よく「自分は裏方だから」と言いながらも、すごく人気がありましたね。いつもトレードマークのスポーツ刈りできちっとした人でした。

そんな翼さんの生真面目さを如実に表すエピソードがあります。

それはある取材現場でのことでした。

記者さん達が取材対象者が現れるまで、張り込んでいるんですが、時間があるから、タバコをスパスパやっているんですね。それを見た翼さんが「ちゃんと自分の吸ったタバコくらい始末しなきゃ。こういうことをしているからマスコミの評判は悪いんです」と注意していたんです。

翼さんは、普段からマスコミが、「報道」を嵩にかけて傍若無人にふるまったり、失礼だったり、無礼だったりというのをことさら嫌っていたんですね。

ですから記者会見でもいつも丁寧な口調でした。

それでも、曲がったことが大嫌いで、どんな大物芸能人に対しても、犯罪めいたことに対しては、ひるむことはありませんでした。多少怒りの感情を持って質問をぶつけていました。そうですね、芸能界の風紀委員のようでした。

一方で、映画について、宝塚について、本当に造詣が深く、同じ番組に出演しているタレントさんが舌を巻くほどでした。

例えばこの映画に出演している誰だれは、ちょうどこの時あの女優さんとお付き合いがあって、映画がきっかけで結ばれたとか、この演技は彼の右に出る人はいなかったとか、兎に角詳しかったですね。

そういった意味ではスキャンダルを報じるというより、そのタレントさんや俳優さんの芸や演技をつぶさに見つめるといった、どちらかというと芸能評論家、あるいは作品の解説者といった風情でした。

僕は、テレビ朝日で初めてワイドショーで芸能リポーターを務めた局アナでした。そのきっかけは故梨元勝さんが、テレビ朝日からスキャンダル取材にストップがかかったのに、取材を止めなかったからでした。

例の「キョウシュクです、」で突撃取材を繰り返していたのに対して、もうひと方、鬼沢慶一さんという、これまた芸能界に顔のきく、問題を起こした芸能人が所属するプロダクションの懐に入り込んで取材をする、梨元さんとは対照的な取材姿勢でした。

そして1980年代、芸能リポーター花盛りの時代にあって、翼さんは、スキャンダルとは少し距離をおき、その人の持つ「芸」を中心にリポートしていくスタイルでした。このお三方が、当時の芸能取材、プロの芸能リポーター三羽烏でした。今のように、単純に「不倫はダメ」というよりもっと掘り下げた大人の取材だったように記憶しています。

そんな、どちらかというと恬淡とした翼さんでしたが、これを書こうかどうしようか迷ったんですが、僕の結婚披露宴に来賓としてみえて、来賓の中でご祝儀を一番はずんでくれていたのが、翼さんでした。

でもそのことを一切翼さんは冗談でも口にしたり自慢したりしたことはありませんでした。口が堅かったですね。誠実な方でしたから芸能人からも信頼され相談を受けていて、解決してからテレビ取材をしていました。親しみのある口調で軽妙な喋りでしたが、その話の内容には重みがありました。雨上がり決死隊の宮迫博之さんの一件について彼がどういうか聴いてみたかったですね。

もうひとつ、この時代のお三方とも芸能の世界の事しか語らなかったですね。よろず引き受けコメンテーターではなかったんです。翼さんも勿論そうでした。

ご自分のフィールドに自信と誇りを持っていらっしゃったんですね。余談ですが、芸能人が芸能人を批判するようなことは考えられなかった時代です。

翼さんが亡くなったと聞いて、なぜかとっても切なくなりました。

心からご冥福をお祈りいたします。

    佐々木 正洋
    佐々木 正洋
    1977年アナウンサーとしてテレビ朝日入社。16年間担当「夕刊キャッチアップ」の最高視聴率16%は今だ破られず。また、2002年出版の「ちょっとしたコツで誰でも『上手な話し方』が身につく」は、当時現役局アナとして近年初1万部を突破。猪木の闘魂ビンタの元祖。2012年独立。テレビ、ラジオで活躍の他、各種イベントの司会や講演を行い、「雑誌ネット」で記事批評を載せ、駒沢女子大学で講師を務める。インターネット、新聞などで世相を斬る、コラムニストでもある。北九州市観光大使