佐々木正洋のいまさら聞けない一般常識 ベテランアナがやさしく解説

2018.10.29

第35回 沢田研二という男

僕は今でも覚えています。アロハシャツを着てタクシーから降り立ったその人にマイクを向けたのを。それがジュリーでした。驚いたのはそんな彼に「田中裕子さんとの仲を色々と言われていますが…」と聞いた時のことです。「ちょっと、オシッコ」と言ってそそくさと背中を丸めるようにして家の中に入っていったんですね。

生理現象を持ちだされるとこちらは何も言えません。「あっ、じゃあ待っていますので」って返すのが精一杯でした。

もしかしたらまた出てくるかもしれないと門の前でしばらく待っていましたが、一回殻の中に入り込んだカタツムリは二度と顔を出しませんでした。あのジュリーが「ちょっとオシッコ」って言った、とまるでキツネにつままれた様な、一方でスクープを取ったような気分になったのを覚えています。

今と違って、ファンと距離感があったほうが良しとされていたスター。いわゆる「高嶺の花的な存在」です。その頂に君臨するジュリーが、まさかそういう言葉を口にするとは思ってもいなかったんですね。

1987年、双子のザ・ピーナッツのお姉さんのほうの伊藤エミさんと別れたジュリー。この時の慰謝料が何とそれまでの芸能人カップルの最高額でした。その額18億1800万円と言われています。それを払うことに同意すること自体が「男」ですよね。

あの頃、ジュリーには細い体と美しい顔立ちに“王子様”のような柔らかなイメージはありましたが、そんな男くささは感じなかったんですね。でも考えてみたら、そんな潔さというか自分を貫くというか、今回さいたまスーパーアリーナでのコンサートのドタキャン、あれがジュリーだったんですね。

あんなこと出来るのはジュリーしかいないですよ。9000人お客さんが入るところを7000人しか客がいなかったといってコンサートをドタキャンするって、昔ながらのスターですよね。それが出来てしまう人が現代にまだ居たっていうのがなんだか僕らの世代(僕64歳です)には嬉しいんです。誇らしいんですよ。

余談ですが、別れたものの7年間付き合って結婚した伊藤エミさんとは7つ違いの姉さん女房だったんです。そのエミさんと離婚したのが1987年1月、大ヒット曲「危険なふたり」を世に出したのが1973年、歌詞には、年上の女(ヒト)と別れる切なさが綴られているんですが、ジュリーは歌っている時、必ずエミさんのことが頭をよぎっていたのかもしれません。その後1989年田中裕子さんと結婚します。そして1992年には「過去の沢田研二の映像は一切出してはダメ」とお触れを出したんです。『自分は懐メロ歌手ではない、現役なんだから』というのがその理由だったんです。今回の件が起こるまで、気が付きませんでしたが、ずっと首尾一貫しているんですね。

「ちょっとオシッコ」の発言だけ違和感を感じる人がいるかもしれませんが、あれとて、不倫で騒がれている自分にカメラを向ける報道陣がいる中を逃げることなく堂々とマスコミを茶化して家の中に消えていく、考えようによっちゃ、カッコイイですよね。

今回、報道陣を公園に引き連れていくジュリーを見た時に、またもや自分のペースに持ち込んだ沢田研二の面影を見ました。頭の回転の速い人です。それに自分の美学がありますね。ご自分でも口にしていましたが、「けしからん」ことを貫き通す、普通の人だったら、なんと我が儘な!で終わってしまうところを、「ジュリーらしい!」という声に換えてしまう力、凄いですね。

それと今度のインタヴューの途中でもやってましたが、「ちょっと、水いいですか」とカメラの前で飲んで見せました。あれって、やっぱり緊張で喉が渇いたんだろうなって、見ている人に思わせたかもしれませんが、「ちょっとオシッコ」と同じ“茶目っ気”も混じった彼特有のレジスタンスなんですね。いいですねぇ、ロックンローラー! ロックンローラーって、内田裕也さんだけじゃないですね、自分に誇りを持って生きる人のことをロックンローラーって言うんですね。次回の公演はチケット完売になりました。それが今回の騒動の答えですね。

 

    佐々木 正洋
    佐々木 正洋
    1977年アナウンサーとしてテレビ朝日入社。16年間担当「夕刊キャッチアップ」の最高視聴率16%は今だ破られず。また、2002年出版の「ちょっとしたコツで誰でも『上手な話し方』が身につく」は、当時現役局アナとして近年初1万部を突破。猪木の闘魂ビンタの元祖。2012年独立。テレビ、ラジオで活躍の他、各種イベントの司会や講演を行い、「雑誌ネット」で記事批評を載せ、駒沢女子大学で講師を務める。インターネット、新聞などで世相を斬る、コラムニストでもある。北九州市観光大使