佐々木正洋のいまさら聞けない一般常識 ベテランアナがやさしく解説

2018.05.29

第22回 その一言が器の大きさを魅せる

「必ず最後までいてくださいね」

「大切な方に大切な会の中締めをやって頂きたいですから」

こんな会話がリハーサルの合間に慌ただしく交わされました。もうその出来事は4年前になります。

アントニオ古賀さんの芸能生活55周年の記念パーティでのことです。正確には2014年12月4日、場所は東京港区にあるグランドプリンスホテル高輪でした。

現在、喜寿を迎えたアントニオ古賀さんですが、先日の「喜寿を祝う会」でもその声量は衰えることを知らず、いわゆるクラシックギターと言われるアコースティックギターを奏でる力量は、日本人で僕は右に出る人を知りません。共鳴版を独特な調子で叩きながら馬が走る様を描き出し、ギターの伴奏を伴って聴かせる作品などは圧巻です。

50歳以上の人なら、「えっ、その人、猪木さんと関係ある人?」などとは決して言いませんよね。古賀政男さんのお弟子さんで、古賀政男さんにその才を認められ、「古賀」という芸名を名乗ることを許されたんですね。もちろん紅白にも登場した経験をもつ一流アーティストであることは言うまでもありません。

その古賀さんから芸能生活55周年のパーティの司会を頼まれたんです。光栄なことです。勢い、力も入ります。パーティは最高の雰囲気で進行していきました。来賓の方々のなかで目を引いたのが駐日キューバ大使でした。「古賀さんはキューバ国民に愛されていて、キューバ国民の永遠の友人です!」と賛辞が送られました。

なぜ、古賀さんにキューバ大使がそこまでの祝辞を述べるか、それは古賀さんが海外公演の一環としてキューバを訪れた際、ラテン音楽を通じて、キューバの人達と心を通わせたからなんです。しかも古賀さんは何十年も前から当時貧しい、音楽を愛する人たちにピアノを寄贈し続けたんです。その数、なんと100台!

凄いでしょ!って僕が自慢することではありませんが。その古賀さんのパーティですから盛り上がらないはずがありません。息子のOTOYAさん(当時10歳)との共演で会場を魅了したあとは、いよいよ文字通り、ひとり舞台 となりました。お祝いに駆け付けた350人の心を鷲掴み、古賀さんの歌や演奏が終わったあとも、その余韻に全員うっとり。これはプロの司会者としては下手な喋りは許されない、このまま締めるのが一番と判断しました。

そしてなんともいい雰囲気のうちに皆さん、会場を後にされました。

我ながら、上手くいったなと、満足のうちに、ふと進行表に目を落とした次の瞬間、ゾーッと背筋も凍る思いになりました。天国から地獄に突き落とされました。

そうなんです、ここで、冒頭の会話をした、「すしざんまい」の名物社長、木村清社長の話になるんですね。目を落とした進行表に何と書かれていたか。《中締めの言葉、木村清社長》とやや大きめの文字が目に飛び込んできたんです。

『やってしまった…』

正直あまりに素晴らしい古賀さんの歌、演奏にお客さんと同じように酔っていて、つい、つい、つい、忘れていたのでした。

これはもう何の言い訳もできません。多忙を極める身でありながら、パーティがお開きになるまでいらっしゃった木村社長。

『あそこまで残っていてくれ、中締めの言葉をお願いしたいと言っておきながら、なんだこれは』と怒りに震えて、こちらの出方をうかがっているのかもしれない。僕も違う意味で頭に血が上っていました。なかばパニック状態です。

目をつぶって清水の心境で「済みませんでした、社長の言葉を頂くのを失念してしまいました!」と直立不動から腰をくの字に曲げ深々と頭を下げました。

どんな罵声を浴びても仕方がない、という覚悟で詫びました。

ところが、信じられない言葉が返ってきたんです。

木村社長は怒った表情ひとつ見せず、「えっ、なにか頼まれていたっけ」と言ったんですね。

わが耳を疑いました。

もちろん木村社長は、私に中締めの挨拶を頼まれていたことを忘れたわけでも、聞いていなかったわけでもありません。

あえて、私が気を落とさないようにこのように言ってくれたのです。

私はもう一度、大きな声で「済みませんでした」と頭を下げました。

人間として一流の人達が集まると、時としてこのようなドラマが生まれます。

つまり、【人を叱る】というか【人を諭す】のはこういうことなんですね。

私はこの時、イソップ童話の『北風と太陽』の話を思い出しました。

「人に(中締めの挨拶を)あれだけ頼んでおいて、何をやっているんだ!」と怒りをぶつけるのは簡単なことです。

でも、そうすると人間関係が壊れますよね。もしかしたら、木村社長とアントニオ古賀さんとの関係も気まずいものになってしまうかもしれません。

この時、木村社長が発した「えっ、何か頼まれていたっけ」という言葉は、失敗したとわかっている私には「本当に申し訳ないことをした」と深く反省しつつも木村社長の懐の深さを知ることになりますし、同時に古賀さんに対しては気遣いをさせない言葉でもあるのです。

これは中学校を卒業してから90以上もの仕事について、苦労を重ねて栄光をつかんだ木村社長だからこそ言える一言だと思います。

まさに苦労人木村社長ならではの一言でした。どこぞの航空会社の一族とはワケが違いますよね。

木村社長がソマリアの海賊に改心させた、というのも頷けます。

この日の夜、僕は二度、素晴らしい余韻に浸ることが出来ました。

    佐々木 正洋
    佐々木 正洋
    1977年アナウンサーとしてテレビ朝日入社。16年間担当「夕刊キャッチアップ」の最高視聴率16%は今だ破られず。また、2002年出版の「ちょっとしたコツで誰でも『上手な話し方』が身につく」は、当時現役局アナとして近年初1万部を突破。猪木の闘魂ビンタの元祖。2012年独立。テレビ、ラジオで活躍の他、各種イベントの司会や講演を行い、「雑誌ネット」で記事批評を載せ、駒沢女子大学で講師を務める。インターネット、新聞などで世相を斬る、コラムニストでもある。北九州市観光大使